住吉大社と言霊
住吉大社は大阪の南にある。その歴史はとても長く、その社の建築様式は特別だ。礼拝する社が四つあり、その社は住吉造りと言われる。この神社は大阪の守り神と呼ばれるが、他にも航海の神さま、祓えの神さま、安産の神さま、和歌の神さまとも言われる。事実、この神社は底筒男命、中筒男命、上筒男命と神功皇后の四神を祀っていて、それぞれの神に社がある。命三神は古事記に記載があり、伊邪那岐命が黄泉の国から戻って海で禊をした時に生まれた神であり、故に航海の神さま、祓えの神さまとして崇められている。神功皇后は安産の神さまであり、それは前回書いた通りだ。だが和歌の神さまについてはその謂れは明かされておらず、この神社の歴史からも紐解くことはできない。そこで敢えて和歌の神さまについて、というより具体的には、日本語について書いてみたいと思う。何故なら和歌はたった17の音で作られた言葉(言の葉)によって多くの意味で構成される複雑な文なのだ。そして言葉は言霊だからだ。
言霊
万葉集に、「大和の国は言霊のさきわう国」という句がある。そして言葉は現実化するという意味を含んでいる。だから和歌の作者は言葉の力を考慮して和歌を作らなければならない。なかなか外国人には理解しがたいことだし、もちろん現代の日本人にも理解しがたい。理解し難い理由は日本語の不思議さにある。日本語の原型は他の言語と違うのだ。最初に、古代に初めて生まれた日本語は音だった。次にその音から意味が生まれた。それはひとつの音が複数の意味を表すことになる。例えば、「アサ」は朝、浅、麻、漁(アサ)のように。又、神を意味する「カミ」は、雷、山(カミ)、主(カミ)、上、髪、紙、噛などの意味を持つ。もちろんひとつの意味だけを持つ言葉はたくさんあり、それらは中国、インド、ポルトガル、オランダそして江戸末期の開国によってもたらされた言葉を起源とする。だが古代の原日本語は先の例のように複数の意味を有する。多くの意味を持つ言葉を使う影響、それは言い表しにくいことだが、困難な状況にある日本人を他国の人々と異なる態度、行動を取らせることになる。2011年にはその態度、行動が海外の人々を驚かし称賛させ、最近では理解に苦しませた。
集合的態度
2011年の大地震は多くの人の命を奪いそして無数の建物を破壊したが、それでも、落ち着いて、礼儀を失わず、自暴せず、掠奪もしない日本人に海外の人たちは驚いた。
加えて、コロナウィルスの影響下、日本人がとった行動抑制に 何故なのか理解に苦しんだ。海外の人たち、就中ジャーナリストたちは、日本政府のコントロールが他国と比べて不十分であることがわかっていた。しかし日本国民は自発的に自宅に籠り仕事を止めた。最初の例のみならず二つ目の例でも、日本国民は政府に不満を抱いていたのだ。それにも拘らず、無意識的に選択した態度は、抗議ではなく耐えることだった。何故なのだろうか?
考えられるいくつかの解答の一つは日本語の仕組にある。 日本語の言葉は複数の意味、時には逆の意味を持つ。日本人は相手が話す言葉から、その真意を置かれた状況から理解しなければならない。結果として、他者の言葉の意味について配慮する習慣を無意識に有する。それが無意識で非言語的な規範を形成し、日本人は色んな状況でそれに従った態度、行動をとる。だから多くの人命に関わる危険なことが起こった時、無意識的に起こる非言語規範は日本人にまともな行動を集合的に取らせる。
言霊の力
続いて、言霊の力について。言霊の力とは言葉が現実化するということだ。もし言葉を発して何かを祈ったら、言葉は現実化する。元々言葉とは言の葉であり、事の葉でもあるのだ。つまり言葉を発すれば、言葉という願いと「事」が同時に空気を震わす。そして言葉は現実となる。
遽には信じられないかもしれない。現代日本人も意識の上では信じていない。しかし、多くの日本人は無宗教と口にしていながらも、普通に神社仏閣を訪れる。日本人はもしかしたら無意識的非言語規範に基づきそうしているのかもしれない。そして無意識的に神社仏閣を訪れることは幸せを呼ぶと知っているのかもしれない。何故なら、日本は言霊がさきわう国だからだ。




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