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仙厓、「楽心」の禅師

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楽しい絵だねー!お月さんを見ながらお月さんの歳を当てあっこしてるんだ。十三歳だ、いや七歳だって。 他愛無いけれど、この絵は江戸時代半ばに厳しい修行を経た禅師が描いたものなんだ。幼稚園の先生である娘にこの絵を見せたら、すぐに「かわいい!」と反応した。 仙厓 この絵の作者は仙厓、有名な 白隠禅師 の70年後に活躍した禅師なんだ。白隠は人々のために多くの楽しい絵を描いたが、それでもその絵は詰まるところ禅だった。でも仙厓は白隠同様熱心な禅修行者であったけれども、仙厓が達した境地は禅を離れたものだった。 上の絵を見て欲しいのだけれど、これも仙厓が描いたもの。絵は上手だけれど、禅の薫りが強いよね。 若い仙厓はゆくゆくは有名な禅寺の住職になることを夢見て修行に励んでいた。だけど最下層の出身だったせいもあったのか、修行を共にしてきた仲間が、有名な禅寺から住職にとお声がかかって次次と修行寺を離れた中で、仙厓は一人取り残された。だから人生に絶望したのかもしれなくて、住職になる夢を諦めたのだろうね、彼は崖にある洞穴に一人籠もってしまった。その気分が彼の名前に現れている。仙とは仙人になること、厓は崖をそして人々の端を表しているんだ。 仙厓の禅 そういう環境でも仙厓は修行に没頭した。仙厓にとって禅とは、この絵のように□で△で◯だった。禅の教えの一つに「釈迦に会うては釈迦を殺せ」というものがある。どういう意味か?というと、もちろん本当に殺せという意味じゃあない。釈迦の教えに囚われるな、それを超えていけと言うことだろう。そして仙厓の答えが、□であり△であり◯だったのだ。 禅を超えた境地 遂に仙厓は認められて、日本最初の禅寺である福岡の聖福寺の住職になった。でもその当時の聖福寺は往時の面影はなくすでにすたれていた。仙厓は建物の再建や修行場の再構築に精力的に注力した。さらに仙崖は自身の境地に磨きをかけ、遂には誰も達したことが無い高みに至った。それが最初の絵のような喜びと楽しい、遊びの境地なんだ。 犬の絵も面白いけど、添え言は愉快だよ。「キャンキャン」と書いてあり、オノマトペであるのだけれど、これって日常会話や小説、漫画、アニメでよくつかわれ僕らにとってはとっても普通なことだ。でも僕が驚いたのは、それが江戸時代の古い絵にあること、それに禅師...

鞍馬寺; 「不思議」を見にいくべし

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鞍馬寺から見る空はどこか別の場所、そう感じざるを得ない。ここは鞍馬寺の一番高いところ、登る途中で出た汗がそう思わせるのか。でも鞍馬寺にまつわるいろんなことがそう思わせる、ってことだってあるぞ。 鞍馬寺は京都の北部、標高569mの鞍馬山にあり、いくつもの社がある。2億5千年前の地層の上に建ち、その地層が不思議なパワーを醸し出しているのかもしれぬ。 麓の山門の背後に山が見える。ケーブルカーを利用しても良いが、幾重にも曲がりくねった道に沿っていくつも社があり、それを見ながら歩いて登るのが良い。 三尊 本尊は毘沙門天、千手観音、護法魔王の三尊、それぞれ日の力、月の力、地の力を保持されておる。中でも護法魔王は元はヒンズー教の神である。護法魔王は日本では稀ではないかな、吾輩は他の寺でついぞお目にかかっておらん。 本堂の前から先程の空を満喫した後は、本堂に向かって願をかけるが良い。ここは最高のパワースポットと言われており、足下の石盤の中心が最もパワーが強い。 不思議がいっぱい その石盤をよく見ると幾何学模様の中に六芒星があるではないか。六芒星があるお寺は、もちろんそれを「日本に於いて」と置き換えてもよいが、稀ではないか。 本堂の前には狛犬ではなく虎が二頭配置され、 これも珍しい。 鞍馬天狗という言葉が知られているように、天狗が有名である。長い鼻、赤い肌に鼻髭と彫りの深さ。日本人と趣きを違にする顔立ちである。 極め付けは護法魔王の姿である。修験者に似ているものの、驚くべきことに背中に翼があり顔は天狗ではないか。 天狗とは? 縄文時代初期は1万6千年前、その時から日本は文化的に始まった。世界で最も長い歴史を持つと言われている。一方今の人類の祖先は10万年前にアフリカで誕生した。そして現代日本人は人類の祖先が持つ遺伝子と同じ遺伝子を持つ。つまり人類の祖先の子孫が日本にたどり着いたということになる、それも歩いて。以上の歴史の長さを踏まえて次の意見を読んでもらいたい。 マーヴィン・トケイヤーはユダヤ教徒のアメリカ人、10年間日本に住んだ。日本に関する本を書き現代の日本人の一部の人には古代ユダヤ人の血が流れていると主張している。なるほど、天狗の顔はユダヤ人に似ている。六芒星は...

湊川神社; 大和魂が宿す地

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昨年のラグビーワールドカップ において、日本「ブレイブブロッサムズ」は十分にそのファイティングスプリットを示した。大会中に元日本メンバーだったトンガ出身のコリニアシ氏は試合開始前の出場メンバーに対して、大和魂の大切さを吹き込んだ。労を惜しまずチームとチームメイトのために自己犠牲することを説いた。彼は長く日本でラグビーをプレイし,幾多の経験から大和魂を学んだ人だ。 確かに,大和魂とはファイティングスプリットだと思っている人は多い。しかし本当の大和魂には優しさや和の心が含まれる。大和魂には闘いのための精神性と優しさの二面性を有するというのが本当のところだ。 源氏物語の中に、皇子への教育方針について話す場面がある。その場面を使って紫式部は漢詩を習うことは必須だけれど、自然となじみ、和歌ができてこそだと大和心の大切さを強調した。それは和魂漢才という言葉で定着していたものだ。闘争心と優しさ並存の大和魂、それがチームで一つになることであり、公のために一つになること、自然と一つになること、神と一つになることであった。 これを踏まえて繰り返すが、一般的には戦う精神性として知られている。 幕末、日本中に大和魂が広がる 約150年前、ペリー率いるアメリカ海軍艦隊の大砲が鎖国を終わらせ、明治維新への号砲となった。一方、明治維新の精神的支柱を造った人がいる。吉田松蔭その人だ。松蔭は一人で艦船に乗り込もうと企てそして失敗している。無謀に思えるような行動だが、それは大和魂が為せるものだった。それを彼は、 「かくすればかくなるものと知りながら やむにやまれぬ大和魂」と歌った。 松蔭は若き武士に対して大和魂の有り様を、 「体は私なり。心は公なり。私を役して公に殉(したが)う者を大人となし、公を役して私に殉う者を少人となす」と説いた。 結局松蔭は幕府によって処刑される。処刑前に 「身はたとい武蔵の野辺に朽ちぬとも 留め置きまし大和魂」と歌っている。 加えて松蔭は、日本には偉大なる大和魂の侍がおわし、その名は楠木正成なりと弟子に説いた。 楠木正成 正成は小さな侍集団の大将で戦術に長けていた。後醍醐天皇が倒幕に立ち上がった時、正成は天皇側についた。正成にとって大和魂の公とは天皇であった。天皇の前に拝謁した時、天皇は喜び菊水の紋を授けた。 軍団は幕府軍よ...