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安産祈願と初宮参り

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中山寺は安産祈願で有名である。参拝者のためのエレベーターやエスカレーターがある寺は少ないが、中山寺はその一つである。建物は壮麗でありしかも古くもないので、賑わっていることが察せられる。参拝したときは雨天早朝であったにもかかわらず、妊婦や赤ん坊をともなった家族が大勢いて、お寺は幸せなムードに包まれていた。 安産祈願 妊婦は安産を願う、それは万国共通なことであるに違いない。日本では、その願いは安産祈願という慣しへと結実した。それは日本古来の深層にある考え方やマジナイでできている。是非その考え方やマジナイを、貴方に知ってもらいたいのである。 まず最初に、妊娠後9週目に霊が胎児の身体に宿る。その時妊婦はつわりをもよおす。これが日本における考え方である。そして妊娠後5ケ月を過ぎると胎児の霊とその母親の霊とは調和するようになる。 次に、日々には干支があり、順番に子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥とい名がある。そして干支の動物の中で戌の出産が一番安産とされている。だから妊娠後5ケ月の最初の戌の日に、安産祈願することが慣しである。 祈祷を受けそして岩田帯をいただく。 妊婦はその岩田帯でお腹を包み込む。安産のための大事なマジナイである。そしてこのマジナイの謂れは古代の偉大な皇后の物語にある。 4世紀、仲哀天皇の妃であった神功皇后は福岡を出港し朝鮮三国を攻めた。皇后は妊娠していたが、上陸後に敵と勇猛に戦った。そして三国を平伏させ、皇后は福岡に戻って後の応神天皇を産んだ。海を渡る間も陸の戦闘の間も、皇后と胎児を護ったものは白い帯であった。この神功皇后の安産と勇敢さにあやかるために、妊婦は岩田帯を身体に巻くのである。 最後に、神道は結婚と出産に重きをおく。この根本的重きがマジナイや歴史的安産物語を呼び寄せたと言って良いのではないか。 新宮参り 出産1ケ月後の赤児を伴って、赤児の健康と成長を願って新宮参りを行う。きちんとした服を着て参拝するのが慣しである。赤児には祝い着をまとうことも慣しである。だから中山寺の空気は安産への願いと無事出産の悦びと華やかさで満ちていた。ちなみに中山寺はお寺であって神社ではない。が、それは関係ないのである。本来お寺と神社は仲が良いのだ。それが日本スタイルというものである。 この慣しを貴方はどう思われるだろうか?是非あな...

七夕物語と機物神社

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「昔々、天の川の西に住む織姫は、幼少の頃から織物がとても得意でした。織姫が天界で織った織物は、瑞々しい霧や雲となって山や野を覆いました。 織姫は成長し、頃合いと思った父神は、天の川の東から牛飼の神である彦星を、婚姻の相手として連れてきました。即座に二人は恋に落ち、以前のようには働かなくなってしまいました。 人々は「天候が変わってしまいました。最近は霧も雲も発生しません」と嘆きました。父神は動揺し織姫と彦星を引き離しました。でも父神は、以前のように働くならば一年に一度だけ会うことを許すという条件を出しました。その日が7月7日です。 それ以降織姫は以前にも増して良く働き、七夕の日を待ち望んだのです。」 日本ではとても有名な話であり、各地で7月7日の七夕祭りが繰り広げられる。人々、特に子供たちは、笹の木に自分たちの願いを書いた短冊をぶら下げる。 中国の原物語 この物語の原型は中国にある。古代に中国から織物に秀でた人々が日本に移住して京都と大阪の中間地に住みついた。彼らは朝廷にとって有用な人々であり、原物語は彼らを通して朝廷人に伝わったに違いない。原物語は以下の内容だ。 「昔々、貧しい牛飼がおりました。偶然に織物神の織姫と出逢い結婚しました。二人は時を待たず子供に恵まれ幸せに暮していました。天界にいる織姫の母神は、手下に娘を連れ戻すように命じました。織姫は家族から引き離され天界に連れ戻されました。牛飼は妻を連れ戻そうと天界に向いましたが、母神は天の川を作って二人が会えないようにしてしまいました。しかし父神は、会えなくなっってしまった二人を不憫に思い、一年に一度だけ会うことを許しました。その日が7月7日です。」 二つの物語はとても似ているけれど、細部は違っている。物語の視点が違う、と僕は思う。原物語は男性目線であり、織姫は受動的だ。一方日本の物語は織姫に焦点があり、彦星は受動的だ。そして、原物語は構造的に、古事記のイザナギとイザナミの物語-イザナギがヨミの国にいるイザナミに会いに向かったが逃げて帰る-に近い。多分原物語はラブストーリーではなかったのだと思う。 何故に違うのだろうか? その理由は朝廷にある、と僕は思う。平安時代に、女官たちは多くのラブストーリーを生み出した。原物語は朝廷に持ち込まれ女官たちの間で人気を得たのだろう。だが、原物語は微...