白隠禅師の不思議な世界
上の絵を見てくれませんか。漫画でしょうか?いいえ。では歳とった西洋人かな?いいや。じゃえーと、どこかの頑固者?違います! 絵の人物は白隠、約300年前に実在した有名な禅師です、そしてこれは白隠の自画像です。それにしても、どうして大きな眼をしているのでしょう?まして300年前のものと思えないくらい今っぽい。 この人物は白隠が描いた達磨、禅を始めたインド人です。多分、いや当然、達磨は禅によって最高の悟りを開いた人に違いないのです。だから本来なら仏像のように穏やかな顔をしていたはずなのに、どうして疑い深い眼をしているのでしょう? この女性は観音さま、千の手をもって人々の願いを叶えるために、本来なら休むことなく働いています。でもリラックスしていますねー、そして人々を助ける働きを投げ出しているようにも見えます。この絵も白隠が描きました。 太った裸の老人は白隠その人、笑って自由を満喫していますね。右手に野花、左手に桶を持ってるけど、どうして裸? この世界の美意識とは? 7年前、「醜いイエスのフレスコ画」で世界中で厳しい非難が巻き起こりました。田舎の老女が古くて色落ちたイエスのフレスコ画の上にイエスを描きました(真ん中が元の絵、右が描いた後)。 彼女は剥げ落ちたイエスが不憫に思え、それで命を吹き替えさせたくて筆をとりました。しかし彼女は素人であったので悲惨な結果になった、というわけです。 その当時の僕は「酷いね」と思いました。でも白隠の絵を見た後の今の僕は、違う気持ちです。なんだか可愛くも見える。確かに芸術的価値は消え去ったけれど、美と引き換えになんらかの愛情が注がれたように感じます。それは僕の中にイエス画という固定観念がないからでしょうけど(この白隠のトピックスでは面白い意見をいっぱい言ってくれたオーストラリア生まれの僕の英語の先生は、この絵にだけは最後まで「惨い」を貫きました)。 白隠は何を狙っていたのか? 白隠は18世紀江戸期の禅師。14世紀の禅の大隆盛を過ぎ、陰りがあった時代に大活躍し、禅、特に臨済禅に置いて中興の祖と言われています。 臨済禅は禅問答(公案)に重きを置きます。 公案はとても難しく、例えば「両手を打てば声がするが、隻手(片手)には何の音があるか」と問われます。そこで「何も聞こえません」(正しい答えです...