湊川神社; 大和魂が宿す地
昨年のラグビーワールドカップ において、日本「ブレイブブロッサムズ」は十分にそのファイティングスプリットを示した。大会中に元日本メンバーだったトンガ出身のコリニアシ氏は試合開始前の出場メンバーに対して、大和魂の大切さを吹き込んだ。労を惜しまずチームとチームメイトのために自己犠牲することを説いた。彼は長く日本でラグビーをプレイし,幾多の経験から大和魂を学んだ人だ。
確かに,大和魂とはファイティングスプリットだと思っている人は多い。しかし本当の大和魂には優しさや和の心が含まれる。大和魂には闘いのための精神性と優しさの二面性を有するというのが本当のところだ。
源氏物語の中に、皇子への教育方針について話す場面がある。その場面を使って紫式部は漢詩を習うことは必須だけれど、自然となじみ、和歌ができてこそだと大和心の大切さを強調した。それは和魂漢才という言葉で定着していたものだ。闘争心と優しさ並存の大和魂、それがチームで一つになることであり、公のために一つになること、自然と一つになること、神と一つになることであった。
これを踏まえて繰り返すが、一般的には戦う精神性として知られている。
幕末、日本中に大和魂が広がる
約150年前、ペリー率いるアメリカ海軍艦隊の大砲が鎖国を終わらせ、明治維新への号砲となった。一方、明治維新の精神的支柱を造った人がいる。吉田松蔭その人だ。松蔭は一人で艦船に乗り込もうと企てそして失敗している。無謀に思えるような行動だが、それは大和魂が為せるものだった。それを彼は、
「かくすればかくなるものと知りながら
やむにやまれぬ大和魂」と歌った。
松蔭は若き武士に対して大和魂の有り様を、
「体は私なり。心は公なり。私を役して公に殉(したが)う者を大人となし、公を役して私に殉う者を少人となす」と説いた。
結局松蔭は幕府によって処刑される。処刑前に
「身はたとい武蔵の野辺に朽ちぬとも
留め置きまし大和魂」と歌っている。
加えて松蔭は、日本には偉大なる大和魂の侍がおわし、その名は楠木正成なりと弟子に説いた。
楠木正成
正成は小さな侍集団の大将で戦術に長けていた。後醍醐天皇が倒幕に立ち上がった時、正成は天皇側についた。正成にとって大和魂の公とは天皇であった。天皇の前に拝謁した時、天皇は喜び菊水の紋を授けた。
軍団は幕府軍より小軍だったが、戦術を駆使し幕府軍を混乱せしめた。結局1333年鎌倉幕府は滅んだ。
しかし足利尊氏軍が西から京都に攻め込んできた。正成は京都を捨てることを進言したが、公家が反対、それどころか正成を罵り戦うことを命じた。正成は負けがわかっていたが敵を迎え撃つべく西へ進軍した。
正成にとって天皇の命に従うことは当然のことで、それが大和魂だった。彼らは良く戦ったが、最後は兄弟とともに自決した。
湊川神社
湊川神社は明治政府が設立後まもなく創建された。政府要人の多くは松蔭の弟子たちだったのだ。
神社の空気はいつも澄んでいる。それは正成の魂の色であり、大和魂の色なのだろう。上にも書いたように、大和魂は和を含め公に従うことだ。公とは時に自然であり、時に天である。もしあなたが公を自然と世界と捉えるならば、環境問題で同調できるのではないだろうか。公をその地の神さまと捉えるならば、それは日本の祭となる。祭は好きですよね。
確かに,大和魂とはファイティングスプリットだと思っている人は多い。しかし本当の大和魂には優しさや和の心が含まれる。大和魂には闘いのための精神性と優しさの二面性を有するというのが本当のところだ。
源氏物語の中に、皇子への教育方針について話す場面がある。その場面を使って紫式部は漢詩を習うことは必須だけれど、自然となじみ、和歌ができてこそだと大和心の大切さを強調した。それは和魂漢才という言葉で定着していたものだ。闘争心と優しさ並存の大和魂、それがチームで一つになることであり、公のために一つになること、自然と一つになること、神と一つになることであった。
これを踏まえて繰り返すが、一般的には戦う精神性として知られている。
幕末、日本中に大和魂が広がる
約150年前、ペリー率いるアメリカ海軍艦隊の大砲が鎖国を終わらせ、明治維新への号砲となった。一方、明治維新の精神的支柱を造った人がいる。吉田松蔭その人だ。松蔭は一人で艦船に乗り込もうと企てそして失敗している。無謀に思えるような行動だが、それは大和魂が為せるものだった。それを彼は、
「かくすればかくなるものと知りながら
やむにやまれぬ大和魂」と歌った。
松蔭は若き武士に対して大和魂の有り様を、
「体は私なり。心は公なり。私を役して公に殉(したが)う者を大人となし、公を役して私に殉う者を少人となす」と説いた。
結局松蔭は幕府によって処刑される。処刑前に
「身はたとい武蔵の野辺に朽ちぬとも
留め置きまし大和魂」と歌っている。
加えて松蔭は、日本には偉大なる大和魂の侍がおわし、その名は楠木正成なりと弟子に説いた。
楠木正成
正成は小さな侍集団の大将で戦術に長けていた。後醍醐天皇が倒幕に立ち上がった時、正成は天皇側についた。正成にとって大和魂の公とは天皇であった。天皇の前に拝謁した時、天皇は喜び菊水の紋を授けた。
軍団は幕府軍より小軍だったが、戦術を駆使し幕府軍を混乱せしめた。結局1333年鎌倉幕府は滅んだ。
しかし足利尊氏軍が西から京都に攻め込んできた。正成は京都を捨てることを進言したが、公家が反対、それどころか正成を罵り戦うことを命じた。正成は負けがわかっていたが敵を迎え撃つべく西へ進軍した。
正成にとって天皇の命に従うことは当然のことで、それが大和魂だった。彼らは良く戦ったが、最後は兄弟とともに自決した。
湊川神社
湊川神社は明治政府が設立後まもなく創建された。政府要人の多くは松蔭の弟子たちだったのだ。
神社の空気はいつも澄んでいる。それは正成の魂の色であり、大和魂の色なのだろう。上にも書いたように、大和魂は和を含め公に従うことだ。公とは時に自然であり、時に天である。もしあなたが公を自然と世界と捉えるならば、環境問題で同調できるのではないだろうか。公をその地の神さまと捉えるならば、それは日本の祭となる。祭は好きですよね。





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